親は子どもの鏡か

役員をママ友からおしつけられそうになっている。まだ返事はしていないが、元来気の弱い私は、断り通す自信がない。そのような理由もあって、次の授業参観は行かずにパスしてもいいか、娘にお伺いをたててみた。

「別に、いいけど。」あっさり快諾。高学年になると、今更、寂しい思いなんてしないという。しかしそのあと、娘はさらりとこう告げた。「私だったら、はっきり断るけど。」「えっ?」「だって、嫌なんでしょう?役員。なら、私なら断るよ。」

びっくりした。年ごろの女の子にしては口数の少ない、おとなしい我が娘。子は親の鏡というが、私に似て、気の弱いところがあるのではないかと密かに心配していた。ところが、今、真正面を向いて私を諭す娘は、私がなりたくてもなれなかった少女像ではないだろうか。

自分のはっきり物を言えない性格は、嫌だと思いながらも直せずにきた。少し我慢すれば、波風立てずにやり過ごせる。娘にもただ、優しい女の子に、お友達と揉め事を起こさない、素直な子に育ってくれれば良いとだけ思ってきた。その通り、学校では目立たず騒がず。ちょっと癖のある、問題児扱いされている子とも、うちの娘だけはそれなりにうまくやってきた。私のように、人付き合いで我慢をしながら、調節しているのかと思っていた。

それが、子は親の鏡ではなく、親は子どもの鏡か。いつもクヨクヨとママ友付き合いで悩んでいる私を見て、そうはなるまいと育ってくれたのか。今年はクラス委員を任されている。おとなしいとか、目立たないとか、そのような形容詞はふさわしくなく、実は一目置かれる、しっかりとした意思を持った子供に成長したのかもしれない。